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ふきだしアイコン熊本市の新着情報

熊本市HPより)

インフォアイコン高橋校区の概要

熊本市で一番面積が小さい校区です。
 金峰山麓の南側、高橋稲荷神社の西側に位置し、校区中央を東西に坪井川が流れています。

【歴史】

 古くから高橋の津と呼ばれた港町で、加藤清正公が入国して坪井川を開削したときから本格的な河口港として整備されました。

 加藤氏改易の後に入国した細川忠利公は寛永11年(1,634年)肥後五ヶ町制度を設け、高橋を、熊本、高瀬、川尻、八代と並ぶ町の一つとしました。高橋は城下と海路を結ぶ河口港として、城下の日用消費物資の大半を積み降ろし発展しました。
 安政4年(1,857年)の舟路改修工事は熊本への貨物輸送をさらに盛んにしました。
 高橋港には島原、筑後、柳川、天草、八代、芦北などや大坂、鹿児島、長崎からも荷船が入っていました。貨物の主なものは天草、芦北の薪炭、天草の海産物、鹿児島の泡盛、焼酎、砂糖、三池の石炭、長崎の舶来品、その他陶磁器、瓦、石灰、塩などで、熊本から肥後米、雑穀などが移出されていました。町には問屋が軒を並べて繁栄し、これらの貨物は、高橋ひらた船で坪井川を上り下りしていました。
 港は明治以後、九州鉄道の開通とともに衰えていきました。(熊本県大百科事典から)

 明治22年(1889年)4月1日町村制施行時に高橋町として発足。昭和19年(1944年)2月11日に高橋町、池上村、城山村が合併し、三和町となりましたが、米の出荷問題で混乱があり昭和24年(1949年)2月11日に池上村が分村、さらに翌年5月1日、高橋村と城山村に分村しました。
【高橋校区の人口と世帯】 年月01日現在
○人口計 0人 (男0人 女0人) 
○世帯数 0世帯

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マップ

高橋校区マップ(PDF)
発行:2019/03/29
※商用目的のダウンロードは禁止します!

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スポット

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